思考録

個人の感想であり、効果・効能を示すものではございません。

客観的であること

 こんなニュースを見かけた。

 

警察の調べによりますと、黒木教諭は先月25日、市内のコンビニエンスストアで買ったおにぎりに自分の歯に詰められていた金属を入れたうえで、自宅に呼び 寄せた全国紙の記者に「買ったおにぎりを食べていたら中から異物が出てきた」などとうそを伝え新聞に記事を掲載させたとして、信用毀損の疑いが持たれてい ます。 

(太字強調は筆者による)

  別にこれを不当逮捕だなどと糾弾する気はさらさら無いのだが、拭い切れない違和感については申し述べておきたい。

 食べ物であるおにぎりに「自分の歯に詰められていた金属」が入る、というのは、「偶然そういうふうになることもあるだろうな」と思える範囲のことではないだろうか。しかも自分の歯の詰め物なんて自分でまじまじと見ることはないのだから、本人が気付かなくたって不思議はない。「DNA鑑定」などという言葉がよく聞かれるようなこのご時世に、わざわざ自分の体液がべっとり付いた歯の詰め物をあえて混入させるに至る思考こそが不思議である。

 しかし繰り返すが、これを不当逮捕だなどと言う気は全く無い。店側からしてみれば、「自分の歯の詰めもんが入ったんを騒いで新聞記事にまでしくさって何してくれとんじゃ」となるのも当然であろう。

 この記事・報道に対しての拭い切れない違和感というのは、記事のどこを読んでも「わざと混入させた」以外の可能性、つまり事実誤認の可能性が排除され見当たらない点である。

 実際には、読み手は思いつくのだ。混入されていたのが「自分の歯に詰められていた金属」であるということと、『「それが本当なら申し訳ない」などと、あやふやな供述をしている』という点から。

 愚輩のこのおろかな頭ですら読み取れるのだから、NHKにおわしおニュースをおつくりになられているかしこきおひとに、これがお分かりにならないはずがない。にもかかわらず、この記事の作者に尋ねれば「そんな可能性には思い至りませんでした!」とでも言いそうな塩梅である。

 いや実際には気がついているだろう。それは分かる。気がついている上で「客観性」を保つためにあえて警察の見解をまるのみにして伝え(そういう体裁の報道である)、社会的に影響がそれほど大きくもない(ように私は思う)どうでもいい事件で故意だか故意でないのかといった曖昧なことに意見をつけて間違って世間からバッシングされるリスクを避けつつ、受け手次第で「誤認の可能性」も容易に読み取れるように作られた、すばらしく巧妙な記事なのだろう。

 であるからして、NHKのことを愚かだなどといって批難する気はさらさら起こらないのだが、なんだか恐ろしいのである。

 そう。なんというか、「機械(人工知能)に世界が支配されたらこんな感じなんだろうか」感というか、そんな感じの恐怖をおぼえる。

 単にこわいというだけのことにこんな長文を書かせてしまうのも恐ろしい。

 恐ろしいので、寝て忘れることにします。

 そんじゃーね。